田中実プロフィール

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田中実プロフィール

体重が、5000gと大きな体で産まれ、特に大きな病気をすることなく、丈夫な体でスクスクと成長していました。

しかし、中学時代に生死を彷徨う様な交通事故を起こしました。交通事故を起こすまでは、健康で腰や首もまったく痛くなることがない体だったのが、交通事故がきっかけとなり、腰痛と首の痛みがでるようになりました。

はじめは、整形外科のリハビリに通っていたのですが、電気をあてたり首と腰の牽引をすることを行っていたのですが、まったくよくならず、痛みを抱えながらスポーツをしたり日常を過ごしていました。

高校に入っても腰の痛みに悩んでいた私を見るに見かねて母が知り合いに教えてもらったという鍼灸整骨院へ通うようになりました。

そこで初めて鍼灸治療をしてもらい今まで悩んでいた首の痛みと腰痛が楽になっていくことが感じました。

高校生ながらにリハビリに通っていたのはいったい何の意味があったのだと考えるほど、鍼灸の効果に驚きました。

中学時代の交通事故の経験から医師に憧れてたが、高校時代に勉強が嫌になり文系へ進みそのまま文系大学へ進学しました。しかし、大学3回生になり就職を考えるようになり医師への憧れを諦めきれず医学部への編入試験を受けました。

医学部編入試験は、在学中の指導教授の推薦状が必要だったり、医学部受験レベルで学力が必要だったため、編入試験のための特別講座を受講し半年ほど寝食を忘れるほど、勉強をしたのですが、元々が狭き門で倍率が高すぎるためか、結果は不合格でした。就職をせずにもう一年間、受験勉強をして医学部を受けようかどうかしばらく考えましたが、生活のこともあり、大学を卒業してから一年間受験だけに集中することが難しく医学部編入を断念しました。

「それでも医療との関りをもつ仕事をしたい」

それでも医療との関りをもつ仕事をしたいと思い、狭心症など心臓を治療するカテーテルやステントなどの医療機器を幅広く扱う医療機器総合商社へ入社しました。

医療機器を扱うことで医師が患者さんと接して治療している姿をみてきました。当初は、医療機器を扱うことで患者さんが治ることのサポートをしていることに満足していました。しかし、時間がたつに従って、昔医師に憧れていたことから、自分で治療をしたいという思いが強くなっていきました。

そんな中、家族みんなで千葉へ旅行に行く機会があり、成田山新勝寺へお参りしました。千葉へ行く道すがら、医師に憧れていたことを知っている母から、将来今のままで良いのかと聞かれていました。母からは、常日頃から「世のため人のためになれる人になりなさい」と言われてました。本堂でご本尊の不動明王の前でお参りをしている時に、ふと頭に浮かんだのは、自分が昔鍼灸で痛みが楽になったことでした。『自分で治療ができる』『世のため人のためになる』この二つを考えたときに、医師だけでなく世の中の人を治療する方法があるということに気が付き『鍼灸師・柔道整復師』になることを決意しました。

とはいえ、現在の妻である当時の彼女へ会社を辞めて、鍼灸師への道を志すことを伝えると猛烈な反対にあいました。妻の思い描いていた将来は、勤めていることを前提で考えていたものだったので、突然の会社を辞める発言は晴天の霹靂だったのだと思います。結婚や生活のことを考えると当然のことだったと思います。

妻と将来を考えていただけに、反対されたことで心が折れかかりましたが、私の強い思いで説得することで、なんとか理解をして貰えました。このとき賛成してくれたことが、現在の私の天職につながっていますので、本当に妻に感謝しています。

鍼灸の専門学校へ入学して、必死に勉強しているときに、父のすい臓ガンが発覚しました。父のガンを鍼灸でどうにか出来ないかと考えているときに気がついたことがありました。それは、「専門学校は国家資格を取得するところであって、免許取得後、患者さんを治療してきちんと痛みを取り除けるかということは別だ。」ということです。

専門学校では、解剖学や生理学などの知識を学ぶことができたのですが、実際の現場で役立つ治療方法をまったく知らないということに気が付きました。当初は、国家資格を取得すればある程度治療が可能になると考えていたので、めちゃくちゃ焦りました。

父をすい臓癌で亡くしたあと、何もできないことが悔しくて鍼灸治療で身体の悩みを抱えている人たちの役に立つためには、自分の核となる治療法が必要だと考えるようになりました。

それからは、学校の勉強と学校以外で治療技術を学べる場へいろいろと参加するようになり、今の治療の基礎が形作られました。

鍼灸整骨院で勤めて臨床の場に出て、学生時代に学んできてきたことを自分の中で咀嚼して患者さん一人一人にあった治療をして行くことで、日々自分のレベルがアップしていくことを実感してきました。

自信がついたころに雇われで院長に就くことになりました。オーナーと二人で切り盛りしていましたが、オーナーは忙しくお店にいないことも多く、実際は私一人で治療をしていきました。

しかし、いちスタッフとして働いているときとは違い、お店のチラシ作り、ホームページ管理などの治療院の運営に関わる仕事が増えていき、自分自身が思い描く治療にだけ集中していればよいという状況ではなくなってしまいました。

このままでは自分がやりたい治療に集中出来ないと思い、お店を飛び出し開業し、自分自身の理想の治療で、お身体にお悩みを抱えておられる方ときちんと向き合えるようにしました。

私の痛み治療における原点、それは・・・

自分の交通事故を起こしたことから腰痛で苦しんだ経験、そして、父のすい臓がんでの他界など現代医療では、解決できないことに対して疑問に思うことを追究していった結果、現代の病院では現状維持でどうすることも出来ない病気・症状を解決したい。

病院へいっても症状があまり改善しない、常に悩みを抱えておられる患者さんに合わせた最善の施術をすることを心掛けております。

当院では、痛みの原因となる筋膜でつながった筋肉と東洋医学から診た体の異常を手技と鍼灸を用いるオリジナル施術を行います。

筋膜の治療は、運動時痛があるときに関連部位と筋膜でつながった筋肉を刺激して痛みがあるかどうかを確認し、痛みが変化した場合、その筋肉を治療します。

東洋医学での治療は、東洋医学の独特な診察法で状態を確認し、異常がある部位をツボと呼ばれる場所へ鍼やお灸をして治療します。

筋膜はレントゲンには映りません。東洋医学も機械では測定出来ません。実際に患者さんのお体に触れて評価をすることによってはじめて筋膜の治療も東洋医学の治療も効果を発揮します。

安心して私にあなたの夜間痛をお任せください。


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