井上琥結プロフィール
2018-07-08
初めまして、井上琥結(こころ)です。
私は、最初からこの鍼灸の世界に入ったわけではありません。
大学卒業後、一般企業で働いて鍼は一生受けることはない、そう思っていました。社会人になり、普通にOLをしていた時に、母からの一本の電話、「駅前に鍼灸整骨院ができたよ」と私の携帯にかかってきました。その時はその電話が私の人生は大きく変えることになるとは思ってもみませんでした。
社会人時代
大学卒業後、一般の企業に入社し、お稽古フラワーアレンジメントやケーキ、パンなどのお教室に通い、同僚、特に同期と飲みに行ったり、国内旅行や海外旅行を楽しむ普通のOL生活を楽しんできました。私は本社勤務でしたが、工場もあったため7月にも電力削減のため夏休みがあり旅行三昧。おまけに最初は5時退社で残業禁止だったため、5時過ぎから飲みに行けるという、日々を送っていました。アフター5を存分に楽しむ、そんな中、阪神淡路大震災が起こります。
交通手段がないため歩いての出勤で、コートに運動靴、リュック姿で歩いていると、茶髪のトラックのお兄ちゃんが「頑張れよ!」と道の向こうから大声で声をかけてくれました。
普段だったら近づくことはない怖そうなお兄さんの何気ない応援のたった一言でしたがうれしかったです。また、震災後、買い出し中で駅近くの踏切に通りかかったとき、明らかに平常とは違う叫び声、電車の警笛、キーッというブレーキ音が鳴り響き、一瞬で空気が変わるのを感じました。被災した人が踏切内に入り、それを助けようと追いかけて入ったのでした。「今この瞬間は助けられても、一生その人を助けられるわけじゃない」という言葉が今も私の中に残っています。あの時、たくさんの人に助けてもらいました。私も何かできることでお返ししたいと思います。
今回、大阪で地震、そして倉敷での大雨がありその時の事を思い出しました。
一度目の転職。
周りからは、今の収入よりいいところはないからそのまま続けるようにアドバイスされますが、退職後に手に職をつけようと経理の勉強をし簿記2級を取得しました。
資格があれば経理の仕事ができると思っていましたが、なんと求人は資格よりも経験重視というものでした。資格があっても、未経験だと厳しいことが判明します。
応募すらできないことも多かったですが、やっと未経験OKの会社を見つけ、面接はとんとん拍子に進み、結局、そこが約10年勤めることになる会社となります。社会人になってから、頭痛がひどくなり起きていられないくらい、座っていてもしんどいし、寝ていてもしんどい、そんな時が年に何回か起こるようになります。頭痛がひどくなると吐くことも。こうなると、お薬も飲めないので何もできない状態になります。
鍼灸との出会い。
ある日、左背中が痛くなり力が入らなくなり、事務の仕事をしていたのに、線を引く定規を押さえることができなくなります。ノートに線を引くことができず、病院に行きますが、結局薬を出すかシップを出すかしたしてもらえず、痛くなったらシップを出すのでまた来てくださいで終わってしまいました。
まだ治ってないのに、どうしたらいいんだろう、という思いでいっぱいでした。このままだったら、事務の仕事もできないし、一度はもうやめるしかないのかな、と思ったことがあるくらい追い詰められていた中の母からの電話でした。駅前に、鍼灸整骨院ができたよ、と。
本当は、その電話の日に別の鍼灸整骨院に行く予定にしていましたが、別の日にその鍼灸整骨院に通い、腕の方はだんだんよくなっていきましたが、鍼灸を受けようとは思わず月日が流れていました。ただ、整骨院に行く度、鍼灸の張り紙が目に入ってはいたので、ある症状で、鍼灸はこれ以上悪化させないように予防になるのかと聞いてみました。
そして、鍼灸で効果はある、との答えに鍼を受けてみました。その先生との相性がよかったのか、体調がよくなるのを感じ、その日以来ずっと鍼治療を継続しています。鍼を受けるようになると、東洋医学に興味を持ち、今度は自分でも学校へ行こうかな、といろんな本やホームページを見るようになり、2年にまたがり資料請求し、学校見学をし入学する決心をしたのです。そして、鍼灸治療のおかげで、年に数回あった頭痛も、寝込むことはなくなり、あったとしても長時間引きずらないようになっていきました。頭痛外来で見たもらったところ、偏頭痛も生理と関係していることもあり、私の場合は生理前、前日や前々日に起こっていたことがわかったのです。頭痛が起こりそうになると予防で飲んでいた月に何錠もお薬も、今は手放せました。同時に、仕事などが休みになると、毎年年末は寝込んでいましたが、いまはすっかりなくなりました。
もちろん、週末に寝込むこともなくなりました。
鍼灸専門学校から現在まで
専門学校の試験に合格したのが9月。そして、それから学校へ入学するまでの間に、池田の気胸死亡事故が起こったのでした。ニュースが流れたとき、私と父の二人がテレビを見ていました。気まずい空気のまま、どういう状態が起こったのかわからず、私からは何も言うことができませんでした。
そして、鍼灸に対していい印象がない父からは、口をきいてもらえず、鍼灸学校へ行き鍼灸師になるなら、今後一切、私とは縁を切る、それから兄弟とも一切会うなと。家からも出ていけ。
そんな父を説得してくれたのが、母でした。学校へ行っている間は家から通えるように。ちなみに現在もそのまま実家です。
1年生の学祭で、学校を見てほしくて両親をよびました。少しでも、学校の雰囲気を知ってほしかったという思いからでした。学祭での父の感想は、みんな活き活きしていて明るい!ということで、ほんの少しですが安心したようです。ただ、今も父は鍼はNGのままです。
まあ、母も私の刺鍼は受けたことはありません。寝違えた時に、刺さない鍼をしたら首が回るようになったので少しはわかってもらえたのかなっと思っています。
少しづつですが、両親も鍼灸に対して理解してもらえるようになり(と勝手におもっているだけかもしれませんが)、寝る前には毎日両親とお灸しています。